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神戸地方裁判所 昭和59年(ワ)118号 判決

原告

ネッスル日本労働組合

右代表者本部執行委員長

村谷正俊

右訴訟代理人弁護士

坂恵昌弘

蔵重信博

被告

斎藤勝一

被告

大原勝弘

被告

中川謙

被告

椿弘人

右被告ら訴訟代理人弁護士

野田底吾

藤原精吾

宗藤泰而

筧宗憲

樋渡俊一

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは原告に対し、ネッスル日本労働組合の旧公印、旧委員長印及び別表記載の銀行預金通帳、その届出印並びに別紙目録(略)記載の各書類を引渡せ。

2  被告らは、原告に対し、各自金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和五九年二月一七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

ネッスル日本労働組合は、ネッスル株式会社(以下、単に「会社」ともいう。)の従業員をもって昭和四〇年に単一労働組合として結成され、昭和五五年七月一八日、その設立登記がなされたものであるが(以下、右結成以来存する労働組合を「旧組合」という。なお、右組合との同一性を問わず、名称のみを指すときは、「ネッスル日本労働組合」と表示する。)、原告は旧組合と法人として同一性を有するものであり、被告らは原告の組合員である。

2  公印等の返還請求について

(一) 旧組合は、昭和五七年一一月当時、「ネッスル日本労働組合」の旧公印、旧委員長印及び別表記載の銀行預金通帳、その届出印並びに別紙目録記載の各書類(以下「本件公印等」という。)を所有していたが、原告は前記のとおり旧組合と同一性を有するものであるから、原告が本件公印等の所有権を有する。

(二)(1) 被告らは、本件公印等を占有している。

(2) 仮に、被告らの主張する労働組合が本件公印等を占有しているとしても、被告斎藤勝一は本部執行委員長、同中川謙は同書記長、同椿弘人は同執行委員として、それぞれ右労働組合の名において本件公印等を占有するものであって、右被告らは物権的請求権の相手方となる。

(3) 仮に、右主張がいずれも認められないとしても、昭和五七年一一月一四日から昭和五八年二月二五日まで、原告の委託を受けて、被告斎藤勝一は本部執行委員長として、また、その余の被告らは専従者として、その職務執行の一環として本件公印等を占有保管していたところ、昭和五八年二月二五日、右職務は終了したから、被告らは原告に対し、本件公印等を引渡すべき債務を負う。

(三) よって、原告は被告らに対し、所有権に基づき、しからずとするも、職務終了に伴う返還請求権(債権的請求権)に基づき、本件公印等の引渡を求める。

3  金銭請求について

(一) 旧組合の本部は、昭和五七年六月三〇日の時点において、六九〇万余円の剰余金を有しており、また、同年七月一日以降一一月七日までに、毎月少なくとも七五〇万円以上の本部組合費が納入される一方、その支出は、一か月六一〇万円程度であるから、同年一一月七日時点で、旧組合の本部には一〇〇〇万円以上の組合費(以下「本件組合費」という。)が残っていたといえるところ、原告は前記のとおり旧組合と同一性を有するものであるから、本件組合費は原告の所有に属する。

(二) 昭和五七年一一月一四日以降、その当時本部執行委員長と称していた被告斎藤勝一及び原告の専従者であったその余の被告らは、共謀のうえ、何らの権原なく本件組合費を費消した。

(三) よって、原告は被告らに対し、不法行為による損害賠償請求権に基づき、しからずとするも、不当利得返還請求権に基づき、各自、右一〇〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(当事者)の事実のうち、旧組合が、会社の従業員をもって昭和四〇年に単一労働組合として結成され、昭和五五年七月一八日、その設立登記がなされたことは認め、その余の事実は否認する。

2(一)  請求原因2の(一)(本件公印等の所有関係)の事実のうち、旧組合が本件公印等を所有していたことは認め、その余の事実は争う。

(二)  同2の(二)の(1)(被告らの独立占有)の事実は否認する。

(三)  同2の(二)の(2)(被告らの、労働組合の機関としての占有)の事実のうち、大原勝弘を除くその余の被告らが、それぞれ原告主張の組合役員として後記「ネッスル第一組合」の名において本件公印等を占有することは認め、その余の事実は争う。

(四)  同2の(二)の(3)(被告らの職務終了)の事実は否認する。

3  請求原因3の(一)(本件組合費の所有関係等)及び同(二)(被告らの無断費消)の事実はいずれも否認する。

三  被告らの主張及び抗弁

1  旧組合は、昭和五七年一一月六、七日開催の第一七回定期全国大会を契機に組織的な統一性を保持しえなくなり、事実上組合分裂の状態に陥り、昭和五八年三月二〇日以降、被告斎藤勝一を中心とする組合と三浦一昭を中心とする組合(すなわち原告)の二つの労働組合が併存するに至り、これにより、旧組合は消滅した。

2  右経緯を詳述すると、

(一) 昭和五七年七月二〇日、旧組合の本部執行委員長川上能弘は第一七回定期全国大会を同年八月二八、二九日の両日に開催する旨を公示し、また、同組合の本部選挙管理委員長小山尚は昭和五七年度本部役員選挙並びに全国大会代議員選挙を右大会に先立って行う旨を公示したが、会社が、その前後からインフォーマル組織(非公然の会社派スパイ組織。以下「会社派」ともいう。)と会社の職制を使い、全国各地において組合員に対して陰湿な選挙介入を行っていることが次々に発覚したため、旧組合の本部執行委員会は、右の各選挙を急拠凍結し、さらに、第一七回定期全国大会を延期するとともに、会社の選挙介入の事実を調査したうえ右各選挙を改めて実施することを決定した。

(二) 右の本部執行委員会の措置に対し、会社派のリーダーの一人であり、かつまた、本部執行委員の一員でもあった三浦一昭が中心となり、全国大会の開催及び選挙凍結の解除並びに会社派以外の本部役員の弾劾を求める内容の署名活動を始め、さらには、三浦一昭らは、昭和五七年九月三日、神戸地方裁判所に対し、前記各選挙の即時実施及び定期全国大会の即時開催を求める仮処分申請を行った。

(三) その後、本部執行委員会は、昭和五七年一一月六、七日の両日に第一七回定期全国大会を開催する旨を決定し、また、本部審査委員会は、前記の選挙介入にかかる調査報告から三浦一昭らには組合規約違反の事実が明らかであるとして、本部執行委員会に対し、右大会において同人らに対する権利停止等の統制処分を行うべき旨を答申した。

そして、右大会に先立って実施された本部役員選挙及び大会代議員選挙では、会社の選挙介入の結果、三浦一昭が本部執行委員長に選任されたものの、七七名選出の大会代議員については、インフォーマル組織の支援を受けたものは三五名の当選に留まった。

(四) ところが、昭和五七年一一月六、七日開催の第一七回定期全国大会の当日、大会代議員七七名のうち、三浦一昭らの会社派に属する三五名の代議員は、右大会での、インフォーマル組織解体のための「団結強化のための方針」にかかる議決及び三浦一昭らに対する前記の統制処分の議決を阻止せんがために、集団的に右大会をボイコットするという戦術に出た。

本部執行委員会は、右のボイコットを行った代議員らは組合の統一体としての基盤を破壊し、今後は旧組合とは別個の組織として活動するとの集団的意思を表明したものと判断し、同人らは議決権を放棄したものとみなして、残る四二名の代議員のみで予定どおり右大会を開催し、同大会で、三浦一昭に対する権利停止の統制処分等を決議し、その際、付帯決議として「団結強化のための方針」を議決するとともに、組合役員及び大会代議員となるには「団結強化のための方針」の遵守などを書面をもって誓約しなければならない旨を併せて決議した。

(五) その後、三浦一昭らは、神戸地方裁判所に前記の定期全国大会における統制処分等にかかる決議の効力を争う仮処分申請を行い、さらに、昭和五七年一二月以降、全国各地の「ネッスル日本労働組合」支部において独自に「支部大会」を開催し、また、各支部の「執行委員」を選出し、昭和五八年三月には、新たに「本部役員」の選出を行い、同年六月四、五日には「第一回臨時全国大会」、同年八月二七、二八日には「第一八回定期全国大会」をそれぞれ開催した。

(六) 一方、昭和五七年一一月六、七日開催の前記定期全国大会での決議に基づき、その続会大会が同月一三日に開催されたが、ここでも三浦一昭らの会社派に属する代議員が集団的欠席戦術に出て、これに対し、本部執行委員会は、前同様同人らによる議決権の放棄とみなし、当日出席の代議員のみで右続会大会を開催し、右大会で、再度、三浦一昭らに対する権利停止の統制処分を決議し、また、本部役員選挙を実施して被告斎藤勝一を本部執行委員長に選出するなどした。そして、被告斎藤勝一らは、その下に結集する組合員を確定すべく、旧組合の組合員に対し確認書の提出を求め、昭和五八年一月一五日、右の確認書を提出した約三〇〇名をもって「ネッスル日本労働組合」の第一八回臨時全国大会を開催し、続いて同年三月二〇日には、第一九回臨時全国大会を開催し、名称を「ネッスル日本労働組合(略称ネッスル第一組合)」とし、かつ、旧組合の規約を分裂事態に対応すべく改正した。なおまた、同年八月二七、二八日には「ネッスル第一組合」の第二〇回定期全国大会を開催した。

(七) かようにして、旧組合は、昭和五七年一一月六、七日開催の第一七回定期全国大会を契機に事実上分裂状態に陥り、昭和五八年三月二〇日以降、会社からの自主性を失わない立場を堅持する被告斎藤勝一を中心とする組合(「ネッスル第一組合」、以下「甲組合」ともいう。)と会社との協調を第一方針とする三浦一昭を中心とする組合(原告の前身である。)とが互いに独自の組織をもって活動を展開し始め、旧組合は分裂し、右二つの組合の成立に伴い消滅した。

3  そうすると、原告は、旧組合と同一性を保持して存在しているものではなく、したがって、本件公印等及び本件組合費が原告の所有に属するものとはいえず、かえって、右二つの組合のうち、旧組合の運動方針をよく受継ぐ甲組合が、旧組合がもと所有していた本件公印等を旧組合の消滅に伴い承継しているのであって、被告大原勝弘を除くその余の被告らは、甲組合の執行機関(被告斎藤勝一は本部執行委員長、同中川謙は本部書記長、同椿弘人は本部執行委員)としてそれぞれ本件公印等を所持し、また、旧組合がもと所有していた本件組合費についても、右と同様、甲組合がこれを承継し、被告らは甲組合の執行機関(被告大原勝弘を除くその余の被告らの役職については右に同じ。)として甲組合のために本件組合費を費消してきたものであって、被告らが、個人として本件組合費を費消したことはない。

なお、被告大原勝弘は、現在は、甲組合の執行機関としても本件組合費の運用に当るものではない。

四  被告らの主張及び抗弁に対する認否

1  被告らの主張及び抗弁1は争う。

2(一)  被告らの主張及び抗弁2の(一)の事実のうち、昭和五七年七月二〇日、旧組合の本部執行委員長川上能弘及び本部選挙管理委員長小山尚が、被告ら主張のような内容の公示をそれぞれ行ったこと、旧組合の本部執行委員会が被告ら主張の各選挙を中止し、第一七回定期全国大会の開催を延期する旨を決定したことは認め、その余の事実は不知。

(二)  同2の(二)の事実のうち、本部執行委員会の右措置に対し、執行委員であった三浦一昭らが発起人となり、被告ら主張のような内容の署名活動を行い(ただし、本部役員に会社派などは存しない。)、昭和五七年九月七日、三浦一昭ら四名が、神戸地方裁判所に対し被告ら主張のような内容の仮処分申請を行ったことは認め、その余の事実は否認する。

右署名活動は、本部執行委員会が定期全国大会を延期したまま開催しようとしなかったため、組合員のなかでこれを非難する声が高まったことから、実施されたものであって、その署名者は組合員総数の八〇パーセントにも及んだが、それにもかかわらず、同委員会は中止した選挙を行わず、大会開催の動きすらもみせなかったため、さらに右仮処分申請を行ったものである。

(三)  同2の(三)の事実のうち、右仮処分申請後、本部執行委員会が昭和五七年一一月六、七日の両日に第一七回定期全国大会を開催する旨を決定したこと、右大会に先立って実施された本部役員選挙では、三浦一昭が本部執行委員長に当選し、七七名の大会代議員が選出されたことは認め、その余の事実は不知。

なお、右の本部役員選挙では、そのほか、田中康紀が書記長に、浜田一男が副書記長に、伊東忠夫が執行委員にそれぞれ当選したものの、副委員長一名及び執行委員九名については当選者未確定の状態であった。

(四)  同2の(四)の事実のうち、昭和五七年一一月六、七日開催の定期全国大会に、七七名の代議員のうち三五名が欠席したこと、同大会は、出席した四二名の代議員のみで開催され、三浦一昭に対する権利停止の統制処分等が決議され、また、組合役員等となるには被告ら主張のような誓約書を提出しなければならない旨の決議がなされたことは認め、代議員の欠席理由については否認し、その余の事実は不知。

右欠席の理由は、右大会当日まで、前記の未確定な本部役員につき決戦投票が実施されず、本部役員全員が未だ決まっていなかったこと、会計監査が未だ終わっていなかったこと、しかも、当時の執行部に批判的な者には右大会の場所や時間すら連絡しなかったことなどである。

なおまた、右大会では、三浦一昭に対し権利停止二年という統制処分の決議がなされたが、当該処分の決定は、右大会が組合規約に定める定足数を満たしていないうえ、三浦一昭が当時の執行部の規約無視を正さんとして前記のような署名活動や仮処分申請を行ったこと、さらには、本部役員選挙に執行委員長として立候補したことなどを悪情状としてなされたものであるから、形式的にも実質的にも違法であり、無効である。

(五)  同2の(五)の事実のうち、三浦一昭が、神戸地方裁判所に対し、被告ら主張の統制処分の効力を争う仮処分申請を行ったこと、及び、原告が被告ら主張のころ、その主張のような支部大会並びに全国大会を開催するなどしたことは認める。

もっとも、右仮処分申請は、前記(四)の最後段に掲げる無効理由を根拠にしてなされたものであり、また、右各大会の開催等は旧組合のそれとしての性格をもつものであって、原告独自のものではない。

(六)  同2の(六)の事実のうち、第一七回定期全国大会での決議に基づき、その続会大会が昭和五七年一一月一三日に開催されたこと、右大会は、出席した代議員三九名のみで開催され、再度三浦一昭らに対する統制処分等の決議がなされ、また、本部役員選挙が実施されて被告斎藤勝一が本部執行委員長に選出されたこと、及び、昭和五八年一月一五日、被告斎藤勝一を中心として約三〇〇名の構成員をもって集会が開かれたことは認め、右続会大会に欠席した代議員らが集団的に欠席戦術に出たとの点は否認し、その余の事実は不知。

右続会大会は、その開催手続の点でも、また決議の定足数の点でも組合規約に違反してなされたものであって、不成立であるから、右続会大会での三浦一昭らに対する統制処分の決議及び本部役員選挙もまた無効といわざるをえず、したがって、正当に旧組合の本部執行委員長の地位にあるのは三浦一昭であって、斎藤勝一ではない。

(七)  同2の(七)の事実は争う。

3  被告らの主張及び抗弁3の事実のうち、被告斎藤勝一が「ネッスル第一組合」の本部執行委員長、同中川謙が同書記長、同椿弘人が同執行委員と称して本件公印等を保管占有していることは認め、その余の事実は争う。

五  原告の反論

1  旧組合には、前記の第一七回定期全国大会以降、その主導権を廻って内部的な争いはあるものの、組合の分裂といった状況はなく、未だ組合は一つであって、被告ら主張の甲組合は、単に、当時の本部役員を中心とした組合内部の一派閥に過ぎない。

このことは、昭和五八年一月一五日当時、前記のとおり約三〇〇名の構成員を有していた甲組合集団が、その後減少を続け、昭和六二年二月一〇日時点では九七名となったこと、及び、甲組合が独立した組織として確立し、規約に基づく運営がなされているならば、右集団からの離脱に関して、除名若しくは脱退という明確な手続をとるべきところ、右集団は、単に、その構成員が仮処分の取下を行ったとか、その訴訟代理人の解任を行ったとかをもって、その集団からの離脱とみなしていることからも明らかである。

2  要するに、旧組合は未だ組合の分裂といった事態に至ったことはなく、昭和五七年一一月当時、本部役員選挙によってその執行委員長に当選した三浦一昭は、前記のとおり、正当に旧組合の本部執行委員長の地位にあったものであり、原告の現本部執行委員長である村谷正俊は、三浦一昭の後任として、その役職にあるものであって、原告は旧組合と同一性を有する。

第三証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録各記載のとおりであるから、これらを引用する。

理由

一  旧組合が、ネッスル株式会社の従業員をもって昭和四〇年に単一労働組合として結成され、昭和五五年七月一八日、その設立登記がなされたことは当事者間に争いがない。

二  ところで、原告は、自らが旧組合と同一性を有することを前提として、原告に本件公印等及び本件組合費が帰属する旨を主張し、これに対して、被告らは、後記第一七回定期全国大会開催を契機に旧組合は分裂により消滅しているから、原告の主張は認め難い旨抗争するので、まず、旧組合がすでに分裂しているか否かにつき検討する。

三  組合活動等の状況について

1  第一七回定期全国大会開催に至るまでの状況

(一)  昭和五七年七月二〇日、旧組合の本部執行委員長川上能弘が第一七回定期全国大会を同年八月二八日、二九日の両日に開催する旨を公示し、また、同本部選挙管理委員長小山尚が昭和五七年度本部役員選挙並びに全国大会代議員選挙を右大会に先立って行う旨を公示したこと、その後、旧組合の本部執行委員会が、右各選挙を中止し、第一七回定期全国大会の開催を延期する旨を決定したこと、本部執行委員会の右各措置に対し、当時執行委員であった三浦一昭らが発起人となり、全国大会の開催及び選挙凍結の解除並びに右措置に賛成した本部役員の弾劾を求める署名運動を行い、昭和五七年九月上旬、三浦一昭らが、神戸地方裁判所に対し、前記各選挙の即時実施及び定期全国大会の即時開催を求める仮処分申請を行ったこと、以上の事実は当事者間に争いがなく、右事実に、(証拠略)及び証人三浦一昭の証言並びに被告斎藤勝一本人尋問の結果を総合すれば、以下の各事実が認められ、その認定を左右するに足りる証拠はない。

(1) 昭和五七年七月二〇日、旧組合の本部執行委員長川上能弘は、第一七回定期全国大会を同年八月二八、二九日の両日に開催する旨を公示し、また、同本部選挙管理委員長小山尚は、全国大会代議員選挙につきその立候補受付期間を同年七月二六日から二八日まで、投票日を同年八月一一日、本部役員選挙につきその受付期間を同じく七月二六日から二八日まで、投票は全組合員の一般投票による旨を公示したので、当時、本部四役の地位にあった右川上能弘、被告斎藤勝一、同大原勝弘、同中川謙が、会社による組合本部の乗っ取り、組合の御用化を防止するという立場から、それぞれ本部執行委員長、同副委員長、同書記長、同副書記長に立候補し、また、当時の本部執行委員被告椿弘人らも、右川上能弘らが主張する現組合本部の方針を支持する立場から執行委員に立候補し、これに対して、当時、姫路支部執行委員長で、かつ本部執行委員であった三浦一昭は、現組合本部の方針を批判する立場から本部執行委員長に立候補し、また、同人と同様の立場をもってその他の本部役員に立候補する者があって、その選挙選は、その当時の組合本部方針を支持するものとこれに反対するものとの対立の中で展開され、混迷を極めた。

(2) そうしたなか、本部執行委員会は、インフォーマル組織(非公然の会社派のスパイ組織)及び会社の職制を用いた会社による選挙介入があり、選挙の公平さが損われたとして、昭和五七年八月六日、右の点について詳細な調査を行い対策を講じるためとの理由で、前記大会の開催を延期し、かつ、前記各選挙を凍結する旨を決定し、さらに、同月一〇日、本部四役からなる調査団を編成して右の調査を行うこと及び全国大会を同年一〇月末頃に開催することなどを決定した。

(3) 本部執行委員会の右措置に対し、これに反対する組合員らは、右措置が、一部の本部役員による組合の独裁であり、組合を私物化するものであるとして、昭和五七年八月二五日ころから、前記三浦一昭らを発起人として、右延期、凍結の賛成者である川上能弘並びに被告らの退陣、全国大会の早期開催を求める署名運動を各支部で展開し、かつまた、同年九月九日、三浦一昭らは、神戸地方裁判所に対し右各選挙の即時実施、及び全国大会の即時開催を求める旨の仮処分申請を行った。

(二)  右仮処分申請後、本部執行委員会が、昭和五七年一一月六、七日の両日に第一七回定期全国大会を開催する旨を決定したこと、及び、右大会に先立って実施された本部役員選挙の結果、三浦一昭が本部執行委員長に当選し、かつ、その大会代議員選挙により七七名の代議員が選出されたことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、(証拠略)並びに証人三浦一昭の証言、被告斎藤勝一本人尋問の結果を総合すれば、次の各事実が認められ、その認定を左右するに足りる証拠はない。

(1) 本部執行委員会は、昭和五七年九月二四日、凍結した大会代議員選挙を同年一〇月一八日に、また、本部役員選挙を同月三〇日にそれぞれ実施すること、第一七回定期全国大会を同年一一月六、七日の両日に開催すること、及び、右大会に追加議案として「団結強化(インフォーマル組織の解体)の方針」を提示する旨を決定し、さらに、同月三〇日、前記暑名運動に関与し組織を混乱させた三浦一昭らを組合員の権利停止等の制裁処分に付すべきであるとして、この旨を本部審査委員会に答申方申請するとともに、当時、本部執行委員であった三浦一昭、萱原定彦の両名に対し、同執行委員長名をもって、当該本部執行委員の役職を即時辞任すること及び今後一切の役職に立候補しないことを勧告した。

(2) また、本部選挙管理委員会が、右各選挙の立候補者に対し、現組合本部の運動方針及び右「団結強化の方針」等につき、その支持不支持をアンケート方式で問い、これを公報をもって公開したこともあって、右各選挙戦は、以前より増して、現組合本部体制を支持する者とこれに反対する者との対立を鮮明にした形で展開された。

(3) 右大会代議員七七名選挙の結果、現組合本部体制を支持する者四二名及びこれに反対する者三五名が選出され、また、右本部役員選挙の結果、本部執行委員長に三浦一昭が当選したほか、同書記長、同副書記長、同執行委員に、それぞれ、現組合本部の体制に反対する田中康紀、浜田一男、伊東忠夫が当選し、その余の同副委員長及び執行委員九名については、組合規約上、得票数が過半数に達する者がないため、信任投票により当選者を決することとなった。

(4) なお、本部審査委員会は、昭和五七年一〇月三一日、本部執行委員会に対し三浦一昭らを二年間の組合員権利停止処分などに付すべき旨を答申した。

2  第一七回定期全国大会の状況

昭和五七年一一月六、七日開催の定期全国大会に、七七名の代議員のうち三五名が欠席し、同大会は出席した四二名の代議員のみで開催されたこと、及び、右大会は、三浦一昭らの統制処分を決議し、また、組合役員となるには「団結強化のための方針」の遵守などを書面をもって誓約しなければならない旨を決議したことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、(証拠略)並びに被告斎藤勝一本人尋問の結果を総合すれば、次の各事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

(一)  昭和五七年一一月六、七日開催の全国大会に、現組合本部の方針に批判的な前記三五名の代議員が、本部副委員長、同執行委員九名について、信任投票が実施されておらず、未確定であること、会計監査が未了であること及び右大会の開催場所や時間の連絡がなかったことを理由に欠席したため、右大会は組合規約が定める定足数を満たさない状況となった(右欠席は、右状況を狙った意図的なものと窺われる)。

(二)  ところが、本部執行委員会は、欠席した代議員らが組織的、意図的に右大会をボイコットし、代議員の義務を果さず代議員たる権利を放棄するもので、したがって、議決権を有しないものであるとみなし、出席代議員のみで、同大会を開催することを決定し、右大会は、本部審査委員会の前記答申に基づき、三浦一昭ら反対派一三名を組合権利停止処分に付し、組合役員及び代議員となるには、「団結強化のための方針」を遵守し、実践すること及びインフォーマル組織に加わっていない旨を全組合員に対し書面をもって誓約しなければならないことなどを決議した。

3  続会大会の開催前後の状況

第一七回定期全国大会の決議に基づき、その続会大会が昭和五七年一一月一三日に開催されたこと、右続会大会の出席代議員が三九名であったこと、右続会大会は、右出席議員のみで開催され、再度、三浦一昭らに対する統制処分の決議がなされ、かつまた、本部役員選挙により被告斎藤勝一が本部執行委員長に選出されたこと、及び、三浦一昭らが、第一七回定期全国大会並びに右続会大会での統制処分を争って、それぞれ仮処分申請を行ったことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、(証拠略)及び証人三浦一昭の証言並びに被告本人尋問の結果を総合すれば次の各事実が認められ、これを左右するに足りる証拠はない。

(一)  本部執行委員会は、第一七回定期全国大会における前記統制処分の決議後直ちに、会社に対し、三浦一昭、萱原定彦、溝口栄蔵につき本部執行委員を解任した旨を通知し、一方、三浦一昭らは、先に行われた本部役員選挙の結果、同人らが本部執行委員長などに当選し、就任しており、右第一七回全国大会は組合規約に違反し不成立であって、そこでなされた決議も効力がなく、右当選及び就任に消長を来すものではないとして、同月一一月八日、会社に対し、前記四名(三浦一昭、田中康紀、浜田一男及び伊東忠夫)の本部役員就任を通知し、さらに、その翌日、三浦一昭、萱原定彦、溝口栄蔵は、第一七回全国大会決議の効力停止及び同人らに対する統制処分の効力停止などを求める仮処分申請を行った。

(二)  昭和五七年一一月一三日開催の第一七回全国大会続会大会にも、現組合本部の方針に批判的な前記三五名の代議員らが前同様欠席したことから、本部執行委員会は、同人らによる議決権の放棄とみなして当日出席した三九名の代議員のみで同続会大会の開催を決定し、右大会は、再度、三浦一昭らを権利停止処分に付する旨を決議し、ついで、前記の誓約書を提出した現組合本部支持派の立候補者を対象に代議員による本部役員選挙が実施され、その結果、本部執行委員長に斎藤勝一が選出されたほか、一〇名の本部役員が選出された。

(三)  これに対し、三浦一昭らは、昭和五七年一一月一七日、右続会大会でなされた権利停止処分の効力停止を求める仮処分申請を行い、また、田中康紀らは、同月二〇日、前記本部役員の地位保全を求める仮処分申請を行い、なおまた、同年一二月二七日には、三浦一昭は、右続会大会で被告斎藤勝一を本部執行委員長に選出した行為の効力停止を求める仮処分を申請した。

4  昭和五七年一二月以降の状況

三浦一昭らが、昭和五七年一二月以降、「ネッスル日本労働組合」の各支部において、「支部大会」を開催し、昭和五八年三月、新たに「ネッスル日本労働組合」の本部役員の選出を行い、同年六月四、五日、第一回臨時全国大会を、同年八月二七、二八日、第一八回定期全国大会を、それぞれ開催したこと、一方、同年一月一五日、被告斎藤勝一を中心とする約三〇〇名の構成員が集会を開催したことは、当事者間に争いがなく、右争いのない事実に(証拠略)、証人三浦一昭の証言及び被告斎藤勝一本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、次の各事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

(一)  三浦一昭を「ネッスル日本労働組合」の本部執行委員長と認める組合員らは、昭和五七年一二月一五日に大阪支部大会、同月一九日に島田支部大会、昭和五八年一月一四日に姫路支部大会、翌一五日に神戸支部大会、翌一六日に東京及び広田の各支部大会をそれぞれ開催し、右各大会で、三浦新体制を支持する旨の決議を行ったが、右の島田、神戸及び東京の各支部大会は、旧組合の組合規約に定める正規の招集手続を経たものではなかった。

(二)  三浦一昭は、まだ本部副委員長及び同執行委員九名が未確定であるとして、昭和五八年三月一六日、本部執行委員長の名をもって、本部選挙管理委員会に対し、昭和五七年一〇月三〇日実施された本部役員選挙における上位得票者一〇名についての信任投票を行うべく要請し、これを受けて、本部選挙管理委員長小山尚を除くその余の選挙管理委員は、昭和五八年三月一六日、右信任投票を同月一八日から二四日にかけて行う旨を公示し、これを実施した結果、三浦一昭を支持する者九名が信任され、被告斎藤勝一を支持する者一名が不信任となった。

そこで、三浦一昭らは、同年三月三〇日、会社に対し新本部四役の就任を報告するとともに、右本部役員のもとに、同年五月一二日、第一回臨時全国大会を同年六月四、五日に開催する旨を決定し、同日開催された右臨時大会では、「ネッスル日本労働組合」の昭和五七年度本部役員選挙において、三浦一昭ら現本部役員が選任されたこと、前記(一)掲記のとおり、「ネッスル日本労働組合」の各支部定期大会の開催及び決議などが全て有効であって第一七回定期全国大会における決議などが全て無効であること、被告斎藤勝一と共にする一部組合員の行動は組合規約に反する分派行動であり、組合統制違反行為であること、以上の事項がそれぞれ確認された。

さらに、三浦一昭を中心とする右本部執行委員会は、同年八月二七、二八日に第一八回定期全国大会を開催したが、右大会に先立って予定されていた大会代議員選挙及び本部役員選挙は、いずれも定数どおりの立候補者数であったことから、右大会で信任投票が行われ、全員信任された。

(三)  他方、被告斎藤勝一を執行委員長とする本部執行委員会は、三浦一昭らによる前記支部大会の開催はインフォーマル組織による支部乗っ取りの企であるとして、旧組合の組合員らに対し参加しないよう呼びかけるとともに、右組合員らに参加しない旨の確認書の提出を求める一方、被告斎藤勝一を本部執行委員長と認める組合員らは、前記支部大会とは別に、右確認書の提出をした組合員を構成員として、昭和五七年一二月一九日に島田支部大会、同月二五日に神戸支部大会及び姫路支部大会、翌二六日に東京支部大会、昭和五八年一月八日に日高支部大会、翌九日に霞が浦支部大会を各開催した(もっとも、右姫路及び霞が浦各支部大会は、組合規約の定めによらず、再建委員会なるものを設置し、これが招集手続にあたった)。

(四)  また、被告斎藤勝一を中心とする本部執行委員会は、昭和五七年一二月二九日、右確認書を昭和五八年一月九日までに提出した者を「ネッスル日本労働組合」の組合員とみなし、この者をもって、第一八回定期全国大会を同月一五日に開催することを決定したところ、約三〇〇名の組合員が同日までに確認書を提出したので、右の本部執行委員会は、同人らをもって「ネッスル日本労働組合」の構成員と確定し、同日、第一八回定期全国大会を開催した。

(五)  ついで、右の本部執行委員会は、昭和五八年三月二〇日、前記構成員(人員は多少増減した。以下同じ。)をもって、第一九回臨時全国大会を開催し、同大会では、大会代議員による本部役員選挙が実施され、被告斎藤勝一が本部執行委員長に再選され、かつまた、組合が分裂したことを前提とする組合規約の改訂が行われ、組合の名称として、他と区別するべく、「ネッスル第一組合」の略称が加えられた。さらに、同委員会は、同年八月二七、二八日、前同様の構成員をもつて、第二〇回定期全国大会を開催した。

四  ところで、組合の分裂は、既存組合の内部対立によりその統一的な存続及び活動が極めて高度かつ永続的に困難となり、その結果、右組合員の集団的離脱及びそれに続く新組合の結成という事態が生じた場合に観念しうるところ(最高裁昭和四九年九月三〇日判決・裁判集民事一一二号八一九頁参照)、前記二の認定事実からすると、旧組合は、第一七回定期全国大会の開催を契機に、内部抗争により組合としての統一的行動をとりえなくなったものであって、すなわち、昭和五七年七月ころ、旧組合の内部は、会社に対して独自性を保持し非協調的な態度を貫いてきた本部執行委員会を支持する組合員の集団(以下「旧組合本部支持派」という。)と、これに批判的な組合員の集団(以下「旧組合本部批判派」という。)とが対立し、これが、第一七回定期全国大会開催に先立って行われた大会代議員及び本部役員選挙に反映し、現職の本部執行委員長川上能弘を推す右支持派組合員らと、姫路支部執行委員長であった三浦一昭を推す右批判派組合員らの対立となって表面化し、選挙の結果、大会代議員七七名の選挙では右支持派が四二名の多数を占めたものの、本部役員選挙では、三浦一昭が執行委員長に当選したほか、当選が確定した書記長、副書記長及び執行委員一名は、全て右批判派が占めた。そして、同年一一月六、七日開催の第一七回定期全国大会は、その不成立を目論んだ旧組合本部批判派の代議員三五名が欠席したため、本来、流会とすべきところ、本部執行委員会は、当日出席した旧組合本部支持派の代議員のみで同大会の開催を強行し、同月一三日にも、右支持派代議員のみで続会大会を開催し、三浦一昭を再度権利停止の統制処分に付したうえ、被告斎藤勝一を本部執行委員長に選出したほか、その余の本部役員を全員右支持派から選出し、その後も、旧組合の組合員らに対し同委員長の方針を支持する趣旨の確認書の提出方を要請し、その提出者をもって、右支持派すなわち「ネッスル日本労働組合」の構成員と確定し、以後、この構成員をもって「組合員」とみなし、独自の組合規約のもとに組合大会を開催するなどの組合活動を展開した。

他方、三浦一昭を頂点とする旧組合本部批判派は、旧組合本部支持派の前記行動を全く無視し、前記本部役員選挙の結果三浦一昭らが本部執行委員長等に当選していると主張し、昭和五七年一二月以来、自派組合員らによる「支部大会」を開催するとともに、昭和五八年三月一六日、本部役員の信任投票を行い、自派組合員をもって本部役員全員を確保し、三浦一昭を執行委員長とする本部役員体制を整え、以後その決定により、組合大会の開催その他の組合活動を実行した。

かくて、両派は、互に他派を無視し、他派の行動について深く干渉することなく、それぞれ組合活動を積極的に進め、独自に本部体制を固めつつ組織力の強化に尽力し、組合員もまた、脱退あるいは除名等の正規の離脱手続を経ることなく、自ずと旧組合本部支持派あるいは批判派に帰属して他派を顧みず(この点、それゆえに組合員を統制処分に付した形跡もない)、自派に傾倒した組合員をもって、それぞれ自派の構成員であると自認し、それぞれの構成員となった者を対象として、旧組合本部支持派は、昭和五八年三月二〇日に第一九回臨時全国大会を、また、同年八月二七、二八日に第二〇回定期全国大会を開催する一方、右批判派は、右大会とは別個に、同年六月四、五日に第一回臨時全国大会を、同年八月二七、二八日に第一八回定期全国大会を開催したものと認められる。

そうだとすると、右両派が全国大会を同時に開催した昭和五八年八月二七、二八日の時点では、旧組合の内部対立が顕著となり、今更これを統一的に存続させ、あるいは活動させることが極めて高度かつ永続的に困難な状態を露呈し、旧に復することはないことが確定的になったものというべきであるから、遅くとも右時点においては、すでに旧組合は分裂し、旧組合と同一性をもって存続する組合はないとみるのが相当であると解される。

もっとも、原告は、右状態が組合分裂でないことの論拠として、右支持派は、その後も構成員が減少を続け、昭和六二年二月の時点では一〇〇人足らずであること、及び、その構成員の離脱につき、脱退手続など明確な手続が採られていないことを主張するところ、確かに、被告斎藤本人尋問の結果によれば、右主張事実は概ね認められるものの、(証拠略)並びに被告斎藤本人尋問の結果を総合すると、右組合員減少等の主因は、会社及びその意を受けた旧組合本部批判派に属する一部組合員らによる不当な誘引にあると窺えなくはないのみならず、右減員にもかかわらず、現在まで、旧組合本部支持派が依然として旧組合当時の信念のもとに強固な組織力を堅持し、独自の組合活動を展開し来ったことは、前顕認定事実及び弁論の全趣旨にてらし明白であるから、右減員等の一事をもって組合分裂否定の証左となすことは妥当でなく、したがって、原告の右主張をもって、にわかに前記説示を左右するものとはいえないところである。

以上のとおりであるから、原告の、旧組合と原告が同一であることを前提とする本件公印等及び本件組合費が原告に属する旨の主張は理由がなく、なおまた、原告は、旧組合の分裂を前提とした本件公印等及び本件組合費の所有関係につき、何ら主張、立証していないところである。

五  すると、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 砂山一郎 裁判官 野中百合子 裁判官貝阿彌誠は転補につき署名押印することができない。裁判長裁判官 砂山一郎)

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